あの人のがん体験記 ~著名人が行った治療とは~
著名人の闘病の様子を紹介いたします。

受賞者死亡のニュース:間に合わなかったノーベル賞の知らせ
2011年10月初旬、ノーベル委員会は、免疫に関する重要な発見をした研究者3名に、今年のノーベル医学生理学賞を授与すると発表しました。受賞したのは、アメリカ・ロックフェラー大学のラルフ・スタインマン教授と他2名です。
しかし発表の数時間後、ノーベル委員会にラルフ・スタインマン教授死去の報せが舞い込みました。実は、発表の3日前、彼はすい臓がんの為、68歳で逝去していたのです。彼は免疫の研究者であるとともに、すい臓がんの患者でもありました。
彼がすい臓がんと診断されたのは2007年。それから約4年間にわたり、免疫の研究を続けながら、闘病生活を送っていました。闘病生活の中で、彼は自らのすい臓がんの治療として、ある治療を行っていました。それは、ノーベル賞を受賞した研究対象、「樹状細胞」を用いたがんの免疫療法でした。
この年のノーベル賞に関して、スタインマン教授ほど世界の注目を集めた受賞者はいなかったのではないでしょうか。
ひとつ目は、受賞者がすでに死去していたこと。また亡くなった人が受賞できるのか否かについても連日メディアで取り上げられました。
ふたつ目は、がんの中で5年生存率が最も低い(5%)であるすい臓がんを患い、その治療としてノーベル賞受賞に至った研究対象である「樹状細胞」を用いた免疫療法等を行い、約4年間もすい臓がんと闘っていたという事実からです。
一時期、亡くなったことにより受賞が取り消しになるかもしれないと懸念されていましたが、ノーベル財団およびカロリンスカ研究所(ノーベル賞の生理学医学部門選考委員会が存在する機関)が対応を協議した結果、彼の場合は授賞決定の時点で財団と選考委員会が本人の死去を把握していなかった事情を考慮し、受賞者の選考は本人が存命しているという前提で行われたものであることを再確認しました。その上で、「授賞決定後に本人が死去した場合はその授賞を取り消さない」とする同賞の規定に準ずる扱いとして、「今回の決定を変えず、スタインマン博士に賞を贈る」と改めて決定し、発表しました。
2011年12月に行われた授賞式には、彼の奥さんが代理として参加されました。また、彼の家族・友人・彼の研究に携わった多くの人々も駆けつけ、彼の受賞を祝福しました。
娘のアレクシスさんは、彼が発表の1週間前に入院したとき、ノーベル賞について話をしまいした。同氏は、「それまでに持ちこたえないと。死んでしまったら、賞はもらえないから」と、冗談めかして語っていたそうです。彼は科学者としてだけでなく、人間的な魅力を兼ね備えた人物だったようです。
そんなスタインマン博士は、どの様な人だったのでしょうか。
研究に没頭した人生
ラルフ・スタインマン:カナダの免疫学者、細胞生物学者
(1943年1月14日 ― 2011年9月30日)
ラルフ・スタインマン(Ralph M. Steinman)は、1943年1月14日にカナダのケベック州モントリオール市内アシュケナジムで生まれました。
父親のアービン・スタインマンが、呉服店「モーツアルト」を郊外のシャーブルッケに開店したため、家族はシャーブルッケに引っ越しました。ラルフ・スタインマンはシャーブルッケ高校を卒業後、モントリオール市内に住む母方の祖父と祖母の家を間借りしながら、マックギル大学理学部を優秀な成績で卒業しました。
その後米国ボストンにあるハーバード大学医学部に進学し、1968年医学博士号を取得後、マサチューセッツ総合病院でインターンを修了しました。
その後、博士研究員として、ニューヨーク市内のロックフェラー大学に転勤し、免疫学 (特に、「マクロファージ」と呼ばれる貪食細胞) 研究の大御所である恩師ザンビル・コーン(1926年―1993年) の下で、獲得免疫に重要な役目を果たす「樹状細胞」に関する研究に取り組み始めました。
彼の研究は多くの賞を受賞しました。
- 【主な受賞歴】
- 1999年 ロベルト・コッホ賞
- 2003年 ガードナー国際賞
- 2007年 ラスカー基礎医学研究賞
- 2009年 オールバニ・メディカルセンター賞
- 2011年 ノーベル生理学・医学賞(ブルース・ボイトラーやジュールス・ホフマンと共同受賞)
免疫療法の可能性をとことん追求する彼のもとには、その姿勢に打たれた多くの研究者たちが世界中から集ったそうです。また、各国で講演をしていた彼は、大量の論文を機内に持ち込むほど、休日も体調が悪い日も常に研究に打ち込んでいたとのことです。
彼の残した治療法 ~すい臓がん患者へのメッセージ~
そんな彼が取り組んでいた「樹状細胞」。そして、それを用いた免疫療法。
実は、その治療がここ日本でも受ける事が出来るのです。
彼が最後まで、自分のすい臓がんと闘う事をあきらめなかったように、同じすい臓がんの患者さまにも、あきらめずに治療を続けていく手段のひとつとして、この治療法が確立されて、世界に広まっていくことをずっと望んでいたのではないでしょうか。



